プラスのエネルギー
家族史をたどる番組で、父親は腕のいい紳士服職人でしたが、妻へのDV、派手な女性関係など負の側面が明かされます。身勝手に子どもを引き取ったあげく育児放棄して、一時、寛斎さんら兄弟は児童施設に入所したことも。実母は我が子と会えることを希望に、洋裁を教えて自活し、成長した寛斎さんと再会を果たす…そんな前半生が紹介されていました。
地方新聞の記者という前職の関係で、⒉回、生の寛斎さんを見ています。1回目は70年代後半だったでしょうか。ブランドのピーアールのため、ニコルの松田光弘さん(故人)と2人で新聞社を訪ねてこられたのです。新米でファッションにも疎い私に、女性だからという理由で取材の役が回ってきました。
今をときめくデザイナー2人が目の前ですよ! 精一杯の質問をする記者に、寛斎さんはそらすことなく「表現」について熱く語り、松田さんはにこにこと見守っていた記憶があります。仕事人生、うれしい場面があるものです。
2回目は90年代半ば、静岡市主催の人材養成講座「ヒューマンカレッジ」での記念講演です。会場はこのアイセル21のホール。ロシアでの大きなショーを成功させた後で、イベントプロデューサーとしての風格が加わり、勢いと熱量がホール全体に伝わってくるようでした。「スポンサーになってもらうのに、大きな字で一枚一枚手書きで思いを書いて、送っている」とこれまた大きな声で話されたのが印象的でした。
父の職人技、センスを受け継ぎつつ、負の体験をプラスのエネルギーに反転させていった寛斎さん。あの明るさと創造力、情熱はどこからわいてくるのか、まだ不思議です。